夏に思う
雷鳴と蝉時雨が、夏の到来を祝福しているかのような連休でした。
幕張ドルフィン歯科の米山です。
20日は、テニスサークルとスクール
毎年この時期、私は大学のOB合宿に参加していますが、今年は所用で行きませんでした。
21日の午前中に、昨年亡くなった同期の友人のお墓参りに
生田にある春秋苑は、広大な墓地が各ブロックごとに分かれています。
送迎バスを降りて、友人のお墓を探すこと数十分。
ようやくたどり着き、仏花を供えました。
亡くなった彼とは、毎年OB合宿で会って、近況を話しながらテニスをすることが楽しみでした。
先日、彼の偲ぶ会を開いたのですが、そこで納骨されたことを知り、墓前に来ることができました
私は、前妻も亡くしているため、死生観というものを肌感覚で持っています。
死を深く考えるようになって、書籍を選ぶ基準も変化してきたように思います。
また、今という瞬間にしか生がないということも、強く感じられるようになりました。
そして、人生そのものが娯楽であるということも
仏教でいえば中観思想でしょうか。
いい悪いでは、図りきれない現実に
ただ、ひたすら無心を目指そうとするのですが
凡夫の私は、まだ怒りに満ち満ちている。
それも包括して、娯楽としてとらえているところはあるのですが。
蝉の一生も人間の一生もさほど変わりはしない
50回目の夏に、その思いに至るのです。